2013年9月、人生初めてウルトラマラソンを完走す。
100km、それはとてつもない半端ない距離です。
誰もがこんな長距離の道のりをジョギングしたくないと思うだろうし、
そんなの24時間テレビの芸能人が一年に一度走ればいい、
なんて考えるかもしれません。
しかし、ぼくは京都の京丹後市という町はずれで100kmを無事に完走しました。
今日は恥じをしのんでぼくが経験したウルトラマラソンの実態をお伝えします。
レース当日:AM2:00起床
レース当日。
午前2時に民宿の各部屋で、一斉に目覚ましサウンドが鳴り響きいました。
何時間睡眠がとれたかもわからないまま、しょぼくれた眼を右手でこすりながら上半身を起こしました。
どうやら他の民宿の相屋のランナーたちも目を覚ましたららしく、部屋中にガサガサ音と一抹の緊張感が漂い始めました。
ぼくらは午前4:30から100kmのレースが始まるので、少なくとも午前2時には起床せねばなりませんでした。
昨夜は大の大人が揃いも揃って8:00に布団に入ったのです。
じつに奇妙でした。
AM2:30~レース会場へ移動
民宿を出て受け会場に向かうと、そこには強そうなランナーたちがずらり。
まだ空の色がまっ黒な状態なまま軽くウォーミングアップをして、トイレの列に並びました。
いまいち100kmを完走するための服装が具体的に思い浮かばなかったために、
ぼくは「半そで+ランパン+ウェストポーチ+ランニングシューズ」といういでたちで挑むことにしました。
周囲のランナーも大体同じような感じでしたが、熟練の選手は雨対策としてビニールのカッパを用意していました。
じつはこのとき、今季最大の台風が日本西部に接近中だったのです。
ぼくは不覚にも普段からニュースを確認しないただのあほだったので、カッパを用意するまでの用意周到さはありませんでした。
AM4:30~ウルトラ100kmがスタート
約2000人ものランナーがスタート地点に集結し、一斉にスタートを切りました。
まさか、夜中に2000人とジョギングするなんて夢にも思いませんでした。
いやあ、じつに貴重な体験です。
その光景が奇妙すぎて江戸時代の大名行列を思わず想起してしまいました。
ただ、レースが始まって一つ気づいたことがありました。
それは、
丹後ウルトラマラソンが丘や山を駆け上る峠レースだということです。
もちろん事前にコース概略を確認していましたので、大きな峠を3回越えねばゴールできないことはわかっていました。
しかし、いやしかしです。
峠はこの三か所ではありませんでした。
それは至るところにあったのです。
むしろ平地のほうが少なかったのではないかと振り返るぐらい丘や山の中が散乱していました。
坂を上ったら下る。
上ったら下る・・・
の繰り返しです。
レース序盤ですでに足にダメージが蓄積していました。
42.195km地点を通過
高度150mを誇る七竜峠を制覇すると、そこには42.195km地点が見えてきます。
そう、この距離はぼくの短い人生の中で最長の経験距離です。
つまり、ぼくはこれ以上の距離を走ったことはありません。
お察しの通り、この時すでにぼくの両ふくらはぎには峠のアップダウンによって生じた鈍痛で満たされていました。
「後残り57.805kmだ!」と自分を鼓舞しようと試みましたが、そもそも57.805kmという距離を走ったことすらないので、
すでにこの当時のぼくの脳内には絶望の二文字が浮かんでいました。
60km地点、己の限界を悟る。
フルマラソン通過地点から、自分の精神と肉体をだまし続けて60km地点に到達しました。
しかしながら、あと40km残っていると考えただけで絶望感が迫ってくる状態でした。
そうです。つまり、このときすでにぼくの心は死んでいました。
いくらここはウルトラマラソンの2/3地点である、と自分に言い聞かせても無駄でした。
なにせ、あと1/3の距離が残っているのです。
そんな腐りきったぼくを定期的に励ましてくれたのが、
エイドステーション&トイレ
です。
このエイドステーションや緊急時に役立つトイレは4kmごとに設置されており、
次のエイドステーションまで頑張ろう、という小さな目標をぼくの中に創り続けてくれました。
ここで「エイドステーション」という言葉がなじみのない方のために説明すると、
このステーションでは水、スポーツドリンク、バナナ、梅干し、ようかんなどの各種のランナーが欲するであろう食材を提供してくれるブースのことです。
実際、このエイドステーションに何度も救われました。
エイドステーションで食べたうどん、バナナ、梅干しの味は一生忘れることはないでしょう。
ぼくはこのエイドステーション以外は走り、エイドステーションに到着して休む、という戦略をとっていました。
一度も道路では歩かぬようにしました。
なぜなら、一度歩いたら走れなくなりそうだからです。
70km付近、最大の難所「碇峠」に挑む
65kmが過ぎたあたりから嫌な予感はしていました。
なぜなら、上り坂が長距離にわたり続くようになったからです。
この坂はいつ終わるんだよ・・・
とこのウルトラマラソンのコースを考案した坂本さん(?)に八つ当たりをし始めていました。
この碇峠の上り坂で歩くランナー(笑)が続出し、周囲にも悲壮感がただよっていました。
もうこれ以上は登れない、と本能的に悟ったとき、幸運なことにちょうど碇峠の頂上に到達しました。
「碇高原牧場」の看板を見たときは思わず泣きそうになりました。
しかしながら、碇峠の真骨頂はここからだったのです。
じつは峠の最大の難所はその下り坂にあります。
一見、上り坂のランニングのほうが辛そうに見えますが実際にはそうではありません。
下り坂の走りのほうが何倍もの負担がランナーのひざ、足裏に襲いかかります。
もうこのときぼくの足裏やひざは崩壊しきっていましたので、坂を下るたびに下半身に激痛が走るという苦しい状況に陥っていました。
ぼくが坂を下るたびに下り坂に文句をたらしていたのは言うまでもありません。
85km地点、完走が突如ミエタ!
丹後ウルトラマラソンでの最大の難所は先ほど紹介した碇峠です。
ただ、このマラソンのコースは本当に質が悪く、随所にアップダウンが設けられています。
おそらく、7割はアップダウンの道を走らされていた、といっても過言ではありません。
それぐらい過酷でした。
そのため、大きな峠を通過しても頻繁に小丘や小山が登場するのです。
それらの坂を一つ越えるたびに膝や足裏が悲鳴を上げたわけです。思い出すだけで苦しいです。泣きたいです。
そんな絶望に包まれたぼくを救ったのは85km地点の看板でした。
この距離表示を見た瞬間にぼくの脳内でそろばんがはじかれました。
残り15km
というゆるぎない自然科学的事実が頭にぼんやりと浮かびあがってきました。
え?15km?これなら練習で走ったことのある距離じゃないか、
と突如前向きなポジティブシンカーに切り替わりました。
ようやく自分の守備範囲内の残・走行距離になったのです。
ぼくは歓喜しました。膝が痛いことは忘れました。
これでウルトラが完走できる、そう確信しました。
練習の15kmと85km走破後の15kmは根本的に違うことがわかる。
85km地点で突然勝利を確信したぼくでしたが、
そう簡単に勝利は訪れませんでした。
なにせそのときのぼくのランニング速度は10kmを約1時間半で走る、という歩行に近いランニング状態でした。
そのため、15kmと一口に言っても、あと2時間近く走行せねばなりません。
ぼくはこの時間計算の結果、再び希望を失うことになりました。
しかも、レース終盤に大型の台風が本格的に関西地方に接近し始めて、レース中に吹き荒れる雨風が冷たく強烈なものに変化していました。
ぼくの精神がおられそうになった回数は数え切れません。
ゴール地点を見て涙がでた。
なんとか歩行のようなジョギングでゴール地点に辿り着きました。
ゴールテープの上空に設置されたタイム電光掲示板を目にした瞬間に思わず涙を流しました。
中学、高校と数々のレースを走ってきましたがゴール地点を見て涙を流したのはこれが初めてでした。
また、ラジオパーソナリティのお姉さんがゴール地点に駆け込んでくるランナーの名前を読んでくれるのは非常にうれしいことでした。
この文章を書いている最中もあのゴールの瞬間が思い出されます。
そんなぼくのゴールタイムは12時間26分59でした。
半日近く雨の中走っていたと思うと、本当によくやったなぁと自画自賛したくなります。
ただ、雨のおかげで涼しかったために完走できたという一面もあります。
ゴールした瞬間、もう当分マラソンは走らない、と静かに誓ったのは言うまでもありません。
人生で何か感動的な体験をしたい、という方はぜひウルトラマラソンをおススメします笑。
それでは!
ken
ランニング愛好家。
[…] それでは、次回はぼくの歴史街道丹後ウルトラマラソンでの体験を書き留めます。 […]
励みになります、このお話!
9月に初のチャレンジです。
おおー!がんばってくださいね!
丹後ウルトラはアップダウンが激しい生半可じゃないコースだったのを覚えています笑
辛いだけにゴールすると感動しますよ〜
Kenさん、よくみたらサブスリーランナーですか
なるほどタイムが早いわけです
私はサブ4がやっとですが、勢いで丹後を申し込んで、このブログを見て...という気分になっています。
できるかなぁ...
>風太さん
ウルトラマラソンは、長くゆっくり走り続ける力と、強靭なメンタルが必要になると思います笑
丹後は、アップダウンが鬼できついコースでしたが、完走後の感動は今でも忘れません。
また、そこに集まってくる選手たちは変態というか、本当に走るのが好きなユニークな方々が集まって来ていたのも面白かったです。
一生の思い出になると思うので楽しんできてくださいね!